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REVIEWS

藤緒恭平による
楽曲レビュー

 最近、なんだか閉塞感がすごくって、それってやっぱり時代のせいだと思う。
意見は常に誤解を生み、分断され、暴力的な言葉や思想が行き交っている。
行間なんて他人は読んでくれない。
語り手は、自ら行間を埋め尽くして、完璧に理論武装しなくちゃいけない時代だ。

 そんなことを考えていたとき、わたしの元へこの楽曲が届いた。
壱タカシの初リリース楽曲となる「はなむけ」。
この楽曲を初めて聴いたとき、わたしは、なんて行間豊かな作品だろうと思ったのだった。

 曲中、目を瞑って“僕”が思い出すのは、“あなた”の顔でも思い出でもなく、声や匂いである。どれほど愛していたか、どんなところが好きだったのか、そういった詳細は描かれなくとも、“僕”の日常に、ずっと“あなた”の気配があることがわかる。
そのつきまとうような気配が、行間に漂う喪失感や諦念を露わにする。

 ひとつ歌詞をとりあげてみる。
“さようならと言われたわけじゃない だけどわかった”
とてももの悲しい歌詞だが、これは“僕”が“あなた”から直接的に別れを告げられなくても、察することができるほど、相手のことをわかっていたとも言える。
もしくは“あなた”が何も言わずに離れるほど、酷いひとだとも言えるし、“僕”が傷つくのを見たくないやさしいひとだとも言える。
突き詰めると、酷いとか、やさしいとかの認識も、すべて聴き手に委ねられていることに気づく。
穏やかなヴォーカルのリヴァーヴや、深く沈むピアノの音。その隙間。
どこにフォーカスを置くかでも、この楽曲の見え方も随分変わってくる。
「はなむけ」には、そんな風に自由に想像する余地があるのだ。
そうやって誰かに聴いてもらうことによって景色が広がる作品なんて、素敵じゃないか。

 はじめに、行間なんて誰も読んでくれないと書いたが、実際のところ、画面に映る文字だけに留まらず、わたしたちは常に行間を読み合い続けている。
表面的な言葉や行動だけがすべてじゃない。
本当はみんなそれに気づいているのだけど、やっぱりそういうのってしんどいし、億劫だ。
しかし、だからこそ、互いに行間を探り合う行為は尊いし、行間に想いを託すひとの作品は美しいと、わたしは思う。
藤緒恭平


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